プロローグ
それでも俺は、サッカーを捨てることは出来なかった。
「あれ、出かけるの?」
「その辺散歩してくる。実花、お前部屋ちゃんと片付けとけよ」
「ハイハイ。お兄ちゃんこそ迷子にならないようにね」
「なるかよ」
ダンボールの山をかき分けて、新しい我が家となったマンションを出た。
父親に転勤の話がきたのは急なことだった。
夏休みの終わり、まだうだるような暑い日に唐突にもたらされた東京への転勤話だった。
妹の実花はともかく、神谷にとっては高校受験を控えた大事な時期だ。普通に考えてこの時期に転校するのはかなり都合が悪い。最初は単身赴任という案も出たが、だが結局転校することになったのは、反対すると思っていた母親が「お父さん一人じゃ心配だから」と押し切ったからだった。
でもたぶん、理由はそれだけではないだろう。
神谷は、賛成も反対もしなかった。どちらでもいいというと、実花もうなずいて、結局言葉すくなに家族会議は終わった。
静岡の一戸建ての家は静かだった。仲が悪いわけではないけれど、母親が新しい場所でやり直したいと、いや、やり直して欲しいと願うのも無理はなかった。
引越しも昨日のうちにだいたいすんで、神谷はぶらぶらと散歩していた。
東京といっても、引っ越した場所はそれほど都会ではない。平日の昼間では、車も少なかった。
ふと、公園らしき場所を見つけて神谷は足を止めた。
入ってみると、運がよかった。
ベンチで誰かが寝ている以外は人もいなかったが、サッカーゴールと、誰かが忘れていったらしいサッカーボールがあった。
近づいて、軽く蹴ってみる。空気の抜けているぼやけた音しかしなかったが、それでもかまわなかった。
転校するといったとき、一人だけやけに騒いだ男がいた。
ヤマハの中で一番の新入りのくせに、一番上手だった男だ。あんまり好きじゃなかったけど、少し、嬉しかった。
誰もが空々しく別れを告げる中で、そいつだけは本気で引き止めていた。
誰にたいしてもそうなんだろう。サッカーをしていればまた会えるよ、といったのは神谷ではなかったけれど、誰もが神谷がサッカーを続けるものだと思っているのがおかしかった。
そして、サッカーボールを手放せない自分もおかしいと思った。
空気の抜けたサッカーボールを蹴りながら、それでも心が高揚するのをとめられない。
まるで中毒者のように、それでも止めることが出来ない。
思い切りゴールに向かってシュートを打つ。GKはいない。頭の中で描くだけだ。
GKの掴みにくい場所、わずかなフェイント、あくまで想像の敵だがだんだんと熱中していった。
そして、いないGKの隙をついてシュートを決めたとき、声がかかった。
「なあ、本物のGK欲しくねえ?」
振り向くとそこに、猫のような目の男が立っていた。
続きます。
ちなみにこれ、「世界の子供 プロローグ1」です。プロローグなんです(泣)
この話は、すんごくパラレルです。しかもかなり長くなります。
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